「エリザベート」ウィーン版 観賞日記 2007.3/28(水)初日
@梅田芸術劇場メインホール


 あのドイツ語アンサンブルが、ソロが、大阪で聴ける!!
 奇跡の大阪公演(完全再現公演は大阪のみ)実現の情報に感涙し、これはどれほどチケット争奪戦になろうが何だろうが、絶対に絶対に一度は見なければ後悔することは明らかだと思った私は、もうヘボ席でもいいから、とにかく確保優先とばかりに去年の年末、電子ぴあのプレリザーブへ……そして2007年の年明けに当落メールが来て「ま、どうせ無理だろうけど申し込むだけ申し込んでおこうか」と、気楽に選んだ初日が当たっていたのでした。


「エリザベート」ウィーン版 3/28(水)15:00開演
◆キャスト◆
エリザベート/マヤ・ハクフォート
トート/マテ・カマラス
フランツ・ヨーゼフ/マルクス・ポール
ルイジ・ルキーニ/ブルーノ・グラッシーニ
ルドルフ/ルカス・ペルマン


 きっちり開場一時間前に到着。何か懐かしいなあと思ったら、2005年の「モーツァルト!」以来用事がなかった梅芸でした。私は、梅田に出ても明確にロフトに用事がない限りはあそこ一帯(茶屋町)には足も踏み入れないし。何でかって、とにかく駅から遠いのがイヤだし、ロフトに用事なんて一年に一度もないということで――ああいうDIY系デパートに用事があるときは心斎橋ハンズで間に合ってしまうので――結局、舞台関係の用事がなければ行かないまんまの茶屋町周辺なのです。もちろんMBS(毎日放送)にも何の用事もないし。

 本場ウィーン版の完全公演にも関わらず、相変わらずやる気の一切見えない劇場前。看板もない、ノボリも立てていない。劇場入口前まで行かなければ今日は何の演目をやっているかもよくわからない有様。これなら梅コマ時代の方がまだ営業力があっただろうに、とムカつきながら周囲を見回すと、あからさまに「アメリカ人では絶対ない」ヨーロッパ系の美形がゴロゴロいる。
 実は梅芸到着前の梅田阪急〜茶屋町の徒歩コースでもヨーロッパ系の人を見かけていて、「ありゃ絶対関係者だな」と思っていたんです。金髪のおねいちゃん、彫りの深い造形のおにいちゃん……目の保養だぜと思いつつも「このやる気のない劇場前のことを彼らは何と思っているだろう」と恥ずかしくなる。だってウィーンに限らず向こうの劇場って、ミュージカル演目にあわせて看板がドーンと出るじゃないですか。あれを真似しろとは言わないけれど、看板さえ立てないなんて情けなさすぎる。
……とブツブツ思いながら劇場前で昼食を食べ、時間が余ったのでロフトの無印へ。そうしたら店内でマドンナのライブバージョンの「JUMP」が流れていたので自動的に口づさむ。
 お菓子を買って梅芸に戻り、入口自体はもう開いているらしいのでロビーへ上がろうとすると、入口前に取材テレビカメラ、スタッフらしき人間がいる。(この時点で、スタッフが日本人か外国人かは見分けがつかなかった)
 さすがに初日だし、どこの局かなあ、どこが協賛(か主催か)してるんだろうと思いながらロビーへ上がると、喫茶店横に何だか意味不明なスペースが空いていてウィーン観光案内パンフレットを置いてある。その向かいのテレビでは今回販売されるエリザ(ウィーン版)のDVDらしきものが流れていて、思わず見入ってしまう。
 そうこうしているうちに開場時間になり、とっとと中へ入り、混雑しないうちにプログラムとDVDを購入。プログラムは3000円ぐらいするだろうなと覚悟していたので、2000円で嬉しかった。日本版並みの厚さだったし。(しかし! ウィーン版の舞台写真があまりにも少なくて、らくがきの資料にならない!)
 DVDは「パソコンでも見られますか」と聞く。その時点ではウチにはビデオデッキしか無く、しかもPCも古き良きWin98SEしか無いという絶望的な環境だったので。
※DVDのPC観賞に関しては、98SE環境では限りなく難しいということを翌日知ることになるのだが……MPEG-2のフリーコーデックとかいうのを導入しても映像がフラフラ揺れるばかりでどうにもならないし、しまいには今まで普通に見られていたはずの日本のDVDがアウトになってしまったので、結局MPEG-2コーデックは削除した。そして残されたのは役に立たないPCと観賞できないDVD。
……と言う訳で、それが恰好の機会にもなったのか我が家にも(今時ビデオデッキしかなかった)ついにDVDレコーダーが登場。とりあえずその場しのぎなので、HDDだとかデジタル対応とかいう高い機種ではなく、最低限DVDに録画もできますよ、でも画質はアナログですよという機種。どうせ2011年になれば嫌でも最新機種を買わなきゃいけないので、今はこれでいいんです……


 開演前の舞台には、シシィのバストショットシルエットが大きく映っていました。(紫色)
 双眼鏡を合わせるためにオケに目を向けると、当たり前だけど外国人さんが……ああ、本場のオケなんだとウルウルしつつ焦点を合わせて開演を待つ。
 私は究極のヘボ席(3F)だったのですが、3Fはほとんど満員だったように思います。ただ開演ギリギリになっても2F上手側のボックス席がまるまる空いていたので、悔しくて歯ぎしり……! もしかしたら2Fは(初日なのに……)空いてるのか? と不安になってしまいました。まあ、確かに完売させるのは難しいとは思うんですよね。1F&2Fは値段、高いし。というかヘボ3F席だって7000円するから庶民には十分高い。
 でも初日なのにと思っていると、私の周囲に高校生とおぼしき団体がやって来た!
 それがまた、五人、十人とかいうレベルではなかったので「げっ、うるせえのが来てしまった。最低……」と心中呟いてしまう。いやまあ、開演前は別にいいんですけどね、喋ろうと何しようと。ただ観賞マナーだけは頼むから守ってくれと切実に願い……結果はその高校生たちより大人の方がマナーが悪かった、というありがちなオチになりました。ごめんね高校生。ほんと性質の悪いオトナがいるもんだ。
 後ろの席にしてみれば、前の席が身を乗り出したら視界が半分以下になってしまうんだよ!
 堂々と身を乗り出すな、バカ!!



 プログラムをちらっと見ると、日本版(宝塚&東宝)役者さんたちのメッセージコーナーがあり、信じられないことに一路さんはいなかったけど(なんで!)、内野さんはメッセージがあったので喜ぶ。その他、山口さんや村井さん、初風さんに高嶋さんもメッセージがなかった……何故だ。けっこう謎です。

 さて、私はウィーン版に関してはオリジナルキャストCDと、ライブCDしか知識がない。映像知識は一切ない。ライブCDも確か1995年だか1996年だかのものなので、それが、演出が国ごとに変わったり曲が増えたりして進化を続けているこの作品の最新知識とはとうてい思えない。
 ただ、まあ、さすがに東宝版(2000-2001)のようにしょっぱなからトートダンサーズが出てくることもなかろうと結論づける。案の定、CDそのまんまのオープニングで開演!
 まず、ルキーニの首吊り死体が人形だった。
 それから字幕。ミュージカルで字幕つきなんて初めて観賞するので、どこにどういう字幕が出るのかも始まってみなければわからなかったです。上手と下手のはしっこに縦書き二行の字幕。
 私の席は下手側だったので、上手側の字幕の方が見やすかった。
 とにかくオープニングからぶっ飛んだのは、プロローグのソロが一切カットされていたこと!!
 もうびっくり、本当にびっくり。(ライブCDではソロはあったから余計に……)
 メロディーは進んでいるのにいつまでたってもゾフィーとルドヴィカが歌わないので、おっかしーなーと思っていたら既に中盤のマックス部分まで行ってしまっていて、そのまま「誰もエリザベートには敵わない」のサビへ突入。このあたり、感動のドイツ語! とかアンサンブルかっこいい! とか思う余裕はなく、ただひたすら「何でソロがないんだあああー!」。
 しかし、当然ですが歌は続いていくので、こっちもそれを追っているうちに色々と見回す余裕が出来てくる。
 アンサンブルの踊りがすごい無機質で、あやつり人形っぽかった。これは結婚式でのシシィ&フランツのカクカクした振りでもすごく思ったことですが、明らかに意図的な「誰かに操られるマリオネット」のような踊りですね。これは宝塚でも東宝版でも、ここまで人形っっぽい動きではなかったので新鮮な驚きで、そしてすごく不気味に感じました。「死者」というより「人形」という印象が強かったかな。まあ、魂のない入れ物=人形という解釈も出来るしね。

 そして上手側にデーンと鎮座している、訳のわからない橋のようなオブジェ。
 何なんだこれはと思っていると、そこからトートが登場してきたのであった……
 ウィーンのトートは、日本版のお耽美カラー過剰なトートよりもシンプルで、もっと無感情(?)なのかなあというイメージがあったんですが、結構それはとんでもない思い違いでした。歌がロックだからというのもあるんだろうけど、かなり激しい「死」の化身でしたよ。(ウィーン版では間違ってもトートのことを「黄泉の帝王トート閣下」などと言ってはいけない。……多分)

 すごく逆説的な結論を言ってしまうと、私はこのウィーン版を見て「東宝版ってかなりウィーン版に近い作りだったんだなあ」と再認識したのでした。
 トートダンサーズの個性的な踊りとかはウィ−ン版にはないんですが、随所で「ああ、東宝でも似た演出してたな」とか「こっちは東宝の方がわかりやすいな」とか、マダム・ヴォルフの場面に至っては「これは東宝版の演出の方が良かった」とまで思っちゃったんですよね。
 私の場合は、初めてエリザを見たのが東宝版だったから、もうこれは「刷り込み」以外の何者でもないと思うんですが。
 私の中では「東宝版=宝塚版を男女バージョンにして、ちょこっと演出をウィ−ン版に近づけただけなんでしょ?」というだけのイメージだったのが、本場ものを実際目の当たりにして、「結構、オリジナルに忠実に再現してたんだなー」と再認識したのです。いや本当に。
 私は舞台でも映画でも基本的に「オリジナル至上主義」であり(オタクは大体そういう気質だと思うけど)、自分の頭脳で賄える範囲では英語だろうとドイツ語だろうと、発祥の言語がベストに決まってる、と思う人間です。だから映画でも、好きな映画は字幕しか見ないし地上波で放送される吹替え版は一切見ない。(去年のラストサムライなんて字幕もないのに副音声で通してしまった)
 そういう私なので、ウィーン版こそが至上の「オリジナル」で、それは見る前も見た後も変わりません。しかし、それでも、見た後に「小池さん、かなり頑張ってたんだなー。偏見持っててごめんね」とか思ってしまいました。日本版独自のカラーがあることは承知の上でね。
……でも、電飾は必要ないけどね。
 
 ウィーンの演出ですごくインパクトがあったのは、私の大好きなアンサンブル「不幸の始まり」でのシシィ&フランツ。何とその前のナンバーの最後で二人は舞台に倒れてしまい(びっくりした)、そのまま結婚式のベールを被せられるんですよ。そして起き上がって祭壇へ向かう……ここがものすごく「人形」的でした。意志のない操り人形。全体的にアンサンブルは機械人形っぽい振り付けですね。死者なんだから、とは思っていても、日本版とはまた趣が違う動きに不気味さを感じました。日本(宝塚も東宝も)では、不気味は不気味でも、振り付けとしてはもう少しソフトな表現だったと思うんですが、ウィーン版は「マリオネット」という表現に徹しているし、その分、容赦がないなあと感じました。
 仕掛けは、とにかく日本版には存在しないあの橋! あれがとにかく肝ですね。あの橋が上がると舞台は「天と地」にも分かれるし、「登場と退場」の目安にもなる。日本版ではああいう、舞台の主軸になる装置というのは存在しないですよね。
 後で聞くところによれば、あれはヤスリ(ルキーニがエリザベートを暗殺した凶器)に見立てているとか。鑑賞中はそんな知識もないので、4本のロープが弦にしか見えず、ということは全体像としてギターのネックにしか見えず、あれは何なんだろうと考えていた次第です。

 シシィ=マヤさん、超絶音域としか言いようがない。
 何だあの最後の「nur mir〜!」の音の高さは。しかも声がブレない、さすがにすごい。ほんと、凄いとしか言えません。というか、やっぱり本場と日本版の決定的な差があるとすれば、やっぱり歌(出演者のレベル)とオケに尽きると思う。これはもう客観的に見て(聴いて)そう思うのだから仕方がない。
 声の出し方が、何と言うか……日本のキャストと全然違う感じ。この作品はオペラ形式でありながら曲調はロックというミュージカルですが、ロックだからシャウトでごまかせるというような安易な楽譜では、もちろん無い。基本的に声楽の下敷きが染み付いているのかなあ? 向こうの人は。それとも日本のミュージカル業界がまだまだ発展途上なのか……これについては、すごく考えさせられましたね。
 オケについても、さすがに本場の音だなとは思ったんですが、なんか時々金管がミスってたような……断言できるのはラスト曲のイントロ2音目で完全に金管がハズしてました。あと2幕のハンガリー戴冠式の場面で、金管さんがソロで舞台に上がったのは驚いた!

 マテさんトート、どう形容していいのかわからないんですが、「エリザベートには死というものが(ある種の)憧れである、その具現化」という感じ……かな。ある意味で、トートとはシシィの分身である、とでも言いましょうか。……でもそれはもちろん宝塚でも東宝番版でも基本的には変わりない設定なんでしょうけど。
 シシィが抱くダークサイドを擬人化することで、彼女の中の(死にたい、生きたいという)揺れ動く感情を表現していて、確かにこれは、舞台的な表現方法だなと思う。モーツァルト(ヴォルフガング)の分身であるアマデといい、クンツェ作品にはこういう「天性(才能)と器(人間性)」とか「生きている人間の心に潜む自殺願望」のような概念を擬人化する傾向が強いですよね。日本の場合、そういう概念の擬人化というものを受け入れやすい土壌があったのかなあと思う。まあ宝塚でお目見えしたときの「死神」というのがいちばんわかりやすかった、というのもあるでしょう。
 予備知識がないせいで、驚いたのがいわゆる「トートダンサーズ@ウィーン版」。彼らは日本版のようには踊らない「死の天使」なんだけど、その中に何人も女性がいるんですよ! あれはマジで驚いたなあ……ライブDVDで見返しても女性いるし、マイヤーリンクの場面なんてトートまで黒のドレス装着してましたもんね。こういうところって、お耽美な日本版よりも実は「両性具有」のニュアンスが強い演出だと思います。

 最初に見たのが東宝版なので、どうしても比較論……というか東宝番を前提にしてしまうところがありますが、そこはご容赦を。ウィーン版だけを見てウィーン版だけが好き、と思えるような贅沢な観客であれば良かったんでしょうけど、やっぱりウィーンは遠いし、今まで映像だってろくに出回っていなかった(はず)から……
 宝塚も東宝も邪道だ! と言い切れるようなレベルには行かないもんで。
 私はそれぞれのバージョンに「解釈の違い、国の違い、文化の違い」を感じることができるし(同じ日本でも宝塚は異質な文化なのだから)、このエリザベートという作品自体、そういう国ごとの演出・解釈の違いにものすごく寛容だから、それはそれでいいと思う。作者(クンツェ&リーヴァイさん)が「解釈の違いは許さない」というスタンスなら、まず宝塚版というものが生まれてはいなかったでしょう。ということは、エリザベートという作品の認知度も今ほど高くはならなかっただろうし……これは結果論になってしまいますが、日本に根付いたのはそういう寛容さのおかげだと思うな。
 
 ということで、話題を戻して。
 ルドルフ役のルカス君という人がすごいハンサムさんだった。生で舞台を観たあとにライブDVDを見たら、その時のルドルフがけっこうおっちゃん顔だったので(失礼)、ルカス君じゃないんだ、とちょっとガッカリ……声は良かったけど。髪型も、やっぱりストレートがいいなあ。私の好みでものを言ってしまいますが。(ライブDVDでも子役はストレートだったぞ)
 ルキーニのブルーノさんは歌がうまくてクセがあって、いかにもイタリア! って感じでしたね。キッチュで放り投げてたのは何だったのかな。ライブDVDではキッチュ(2幕冒頭)でのルキーニは客席後ろから登場するんですけど(あれは日本じゃ真似できないだろうなあ)、アン・デア・ウィーン劇場の狭さにびっくりです。高さとしては3階ボックス席まであったように見えたけど。
 あれキャパ何人ぐらいなんだろう? 梅芸より多いってことは絶対ないですね。とにかく舞台幅が狭い、って言うかウィーンでの劇場があれなんだから、あの広さが標準なのか。やっぱり。
 どうしても生で見た梅芸と比較してしまう。
 梅芸はキャパ2000弱だから、ウィーンのキャストさんにしてみれば広すぎる! って感じなのかなあ?

 シシィはとにかく我が強い、ともすれば我儘、自己中心的とさえ取れる造形。東宝2004からの一路シシィもかなり我の強いシシィ像に変化していたけれど、ウィーン版はもうとにかく容赦ない。夜のボートの最後のフレーズ「駄目なものは駄目なのよ」です。フランツ・ヨーゼフがかわいそうになるほど。
 そういうシシィが自分を誘惑する「死」に抗い続けて、でも一方では焦がれて呼び続けて、とうとう最後にトートに自分を委ねることに……ってわけでもないんだなあ、これが。「委ねる」という表現はウィーン版ではちょっと合わない感じ。あくまでも「シシィが望んだから死が訪れた」と私は感じました。すごい熱烈なキスだったけど、それでもシシィはトートに支配されることを望んだわけじゃないと思う。死んでも支配されないと思う。
 最後のシーンは(キスの後ね)東宝版2004〜の方がわかりやすくて(まとまってて)私はそっちの方が好きだな……と思いました。
 ウィーン版でもシシィがとうとう眠りについてエンド、なのは変わりないけど、シシィの退場がちょっと曖昧。ルキーニが自殺するオチもライブDVDで見てやっとわかった。東宝版はシシィが棺に入るのと、ルキーニが自殺するシーンにわずかに時差があったから(ルキーニが最後)、同時に二つの死を見届けられ、ある種のカタルシスが得られた訳なんですが。
 東宝でも2000〜2001と2004〜の演出は明確に違っていて、最初はトートとシシィの愛の成就というニュアンスが強いんですが2004〜はかなりウィーンに近いと私は思っていて、愛の成就を強調するバージョンよりドライな2004〜の方が好みなんです。
 ウィーン版も、そういう意味ではかなりドライではあったなあ。
 このラストは本当に難しいですよね、解釈が。
 わかりやすくてハッピーエンドなミュージカルの多いアメリカじゃ、なかなか成功するのは難しいだろうと想像できます。実際、一部の国ではこんな大人気なのに、いまだにブロードウェイどころかウェストエンドにすら上がる気配もないし。
 ファントムだって十分お耽美でデカダンなミュージカルだと思うけれど、あれがOKなのに、なんでエリザは駄目なんだろうか? ファントムはやっぱり「生きている人間」とハッピーエンドになるから、「死」と結ばれて終わるエリザとは違うのかな。
 私はエリザやM!、アメリカ物ならエヴィータみたいな、主人公が死んでエンドという暗いミュージカルばっかりが好きな人間なので(シカゴはちょっと別枠)、こういうダークな物語がもっと増えてくれればいいと思う。
 ハッピーエンドばっかりでは飽きると思ってしまうんだけど、どうなんでしょう? これこそお国柄の違いかな……

 そういう訳で、色々と考えてしまったウィーン版観賞日記でした。
 東宝版では終幕後すぐにカーテンコールの音楽が鳴るけど、本場は一旦は音楽なしでカーテンコールするんですね。知らなかったから「ええーっ音楽なし!?」と驚くところだった。
 初日だから舞台挨拶ぐらいあるだろうと大いに期待していたのに、まったくなかったのでそれだけが残念無念……後日の情報によると、クンツェさん&リーヴァイさんもちゃんと来てたらしいのに……舞台で挨拶してほしかったなあ、ガッカリ。
 花束贈呈はあったけど、それもまったく司会もなく花束渡すだけだったし。
(何か周囲が「宝塚?」とか騒いでたけど私には誰が誰やら区別つかず)

 キャストは、私はその時はまったく知らないことだったんですが、セカンド(代役)がやる日も多々あるらしいですね。でもチケットのスケジュール表にはそんなこと書いてなかったと思うけど……誰だって本役を見たいだろうに、その辺は(そういうのが本場の仕様かもしれないけど)来日公演という意味では不親切ですね。最低でも7000円払ってキャストは運次第なんて、私だったら怒ると思う……
 私は今回、それこそ運良く初日に当たったからオールキャストで見られたんだけど、もし平日のマチネとかを取ったとして、そしてメインキャストでなかったら……さすがに泣くだろうなあ。
 しかし考えてみれば、舞台に代役がいるのは当たり前のことであって、そういう意味じゃ東宝版は誰かメインキャストに支障があったらどうするつもりだったんだろう。
 トートやフランツがダブルっていっても、一方のスケジュールが合わない(別の舞台とか)からという意味でのダブルだから通常のダブルキャストのように控えている、って訳でもなさそうだったし、何と行ってもシシィは一人しかいない!

 ウィーンから来られた皆様、日本に来てくれてありがとう。
 本当にご苦労様です。
 

 らくがきは後日。
 とにかくプログラムの、らくがきの資料にならないっぷりは見事だ!


◆買ったもの◆
プログラム(パンフレット)¥2000
エリザベート ライブDVD@アン・デア・ウィーン劇場(2005)¥5000

◆サル(私)でもわかる舞台用語◆
マチネ=昼興行
ソワレ=夜興行
カテコ=カーテンコール
上手(かみて)=舞台右手側
下手(しもて)=舞台左手側


Lilyco Kobayashi 2007/無断転載・引用厳禁


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