モーツァルト!2005観賞日記A 6/22(水)マチネ


モーツァルト! 6/22(水)13:00開演
◆Wキャスト◆
ヴォルフガング/井上芳雄
ヴァルトシュテッテン男爵夫人/香寿たつき
アマデ/伊藤渚



 6/19とセットの観劇日記・その2です。

 1回目は2幕中盤の動きをほとんど把握できなかったので、この日はもう腰を据えて観劇させていただきました。
 
 それにしてもアンサンブルの素晴らしさよ! エリザでも、私が好きな曲と言えば実はほぼアンサンブル(プロローグとか不幸の始まりとか)なのですが、M!はアンサンブル曲がすべて良いですね。シカネーダーの見せ場曲もよかったし(シカネーダー役の人、すごい華がある人ですね)2幕最初の「Hier in Wien」(ここはウィーン)も良かった。
 ウィーン盤しか予備知識のなかった私は、ウィーン盤2曲目が丸ごとカットされていることに驚きましたが、ヴォルフの「Ich bin,Ich bin Musik」(僕こそ音楽)という知らない曲があったことにもびっくり。
 こういう変化は、オリジナル(ウィーン)のライブ盤でも聴けばすぐわかるのですが(エリザもそうだった)、なぜかライブ盤は見かけないし……

 コロレドさんの「神よ、なぜ許される」の最後、「魔術〜」に行くまでがちょっとタメすぎのような気がしたのですが、あれは初期設定でああいう歌い方なのだろうか。初演を知らないので比較できない。

 コンスタンツェはエロかった。胸丸出しドレスでピアノの上で寝転がったりするんだもん。オヤジ目線になってしまいました。
 結局のところ凡人のコンスタンツェには夫が理解できず、ヴォルフ本人でさえ制御できない才能(アマデ)に振り回されているのだから妻を思いやる余裕もない。アマデは、ヴォルフがコンスタンツェに惹かれていく過程で明確に「やめろ」と止めていたのですが、才能そのものであるアマデはひたすらストイックであり、才能の器であるヴォルフにはただの人間らしさ、愚かさ、無謀さがあるので、両者は常に仲良く共存できていたわけではない。ヴォルフは、最後には自分がアマデに殺されることでアマデ(才能)も消えてしまうことを悟り、自滅もしくは心中するような形で死んでしまうのですが、この場面は本当に、人それぞれの解釈で見方が変わってくると思います。
 リーヴァイさんの音楽が美しくも複雑で難解でなら、クンツェさんのテキストもまた難解で哲学的でさえある。死が生を愛するエリザベート同様、この暗黒面、心のダークサイド、黄昏、逃れられない闇(影、運命)――これはウィーンという土地柄のせいなのか。

 史実上のモーツァルトは自殺したわけではないのですが(映画で有名なサリエリ毒殺説も信憑性は薄いらしい)、この作品では「まるで」自分の才能(アマデ)と戦い抜いた挙句に疲れ果て息絶えた、というようにも取れます。
 才能とは恐ろしい。才能があるだけでも駄目で、それに見合う器があってこそ偉人が生まれるのでしょうか?
 ではヴォルフは?
 己の才能に引きずられ血を流し戦って果てた彼は、天才ではあったけれど紛れもない「人間」であったはず。

 これは難解だ。エリザ以上に難解かもしれない。
 ……そうして幕は降りたのでした。
 カーテンコールはいつも楽しいもので、エリザと違ったのはカテコが終わり緞帳が降りて、そのときオケが音楽を鳴らしていたこと。オケのカテコのようにも思えました。
 
 エリザと比べてカテコ少ないなあ……と思ったのですが、追い出しのオケが終わってから井上ヴォルフとアマデが駆けてきた!
 22日はアマデ=伊藤渚ちゃんの大阪楽日だったので、井上ヴォルフが「大阪楽でーす!」と紹介。劇中とまったく違って、二人仲良く拍手に応えるのが可愛らしかったです。

 ああ、それにしても中川ヴォルフも見ておきたかったなあ……
 個人的には井上くんの歌は十分うまいと思えるし、感情も入っていて合格だったのですが、中川ヴォルフもまた違った、鬼気迫る演技を見せているようなので……残念です。また再演があったら今度は両方を制覇したいと思います。久世さんも見たいし。
(余談ですが、名古屋と福岡公演では一路男爵夫人まで参加! 東宝ひでえ)

 
買ったもの
パンフレット¥1600(エリザと比べて薄い)

Lilyco Kobayashi 2005/無断転載・引用厳禁




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